<第一集> 第一話から第五話まで





第一話 怪を語れば怪至る


昔から、人が言い伝えている怖ろしいこと怪しいことを集めて、百物語怪談会をすれば、必ず怖ろしいこと

怪しいことがあると言われている。



 百物語には決まったやり方がある。月が暗い夜、行燈に火をともす。その行燈には青い紙を貼り、百筋の

灯心をともす。一つの物語に灯心を一筋ずつ引き抜いてしまうと、座中がだんだん暗くなり、青い紙の色が

変化していって、何となく怖ろしくなっていくのである。そのまま語り続けると、かならず怪しいこと怖ろしいことが

現れるのだという。



 下京辺りの人が五人集まって「さあ百物語をしよう」と言って、昔からの決まりの通りに火をともし、おのおの

青い小袖を着て、並んで座って語ること六七十話に及んだ。そのときは十二月の初め頃で、風が激しく、雪が

降って、日頃にもまして寒く、髪の根本が凍るようにぞっとするように思われた。



 ふと気づくと、窓の外には蛍が多く飛ぶように、火の光が幾千万ともなくちらちらとしていた。それがとうとう

座中に飛び込んできて、鏡のように、また鞠のように、丸く集まった。そうかと思うとまた分かれて砕け散り、

白く変化して、大きさ五尺ぐらいに固まったものが天井にとりつき、そのまま畳の上にどおっと落ちてきた。

その音はいかづちのようで、火の玉はそのまま消え失せてしまった。



 五人ともうつむいて気を失っていたところを、家の中にいた仲間がいろいろと助け起こしたので、五人は

よみがえって、それ以後別に何ごともなかったということだ。



 ことわざに言う「白日に人を談ずるなかれ。人を談ずれば害を生ず。昏夜に鬼を語る事なかれ。鬼を語れば

怪至る」とは、このことであろう。この物語も、百話を満たさないで、筆をここでとどめておこう

浅井了意『伽婢子』
第二話 京東洞院かたわ車の事


 京東洞院通りには昔片輪車という化物がでた。片輪車は夜な夜な通りの下(しも)から上(かみ)へ登るのだと

言われていた。だから日暮れになると人はみな恐れて、この通りを行き来する事はなかった。



 ある人の女房がこれを見たく思って、ある夜、格子の内から外の様子をうかがっていると、夜半過ぎ頃、下から

音を鳴らしながら片輪車がやってきた。車を引っ張る牛も人もいないのに、車の輪が一つだけ回ってやってくる

のを見ると、そこには人の股の引き裂かれたのが下げてある。



 女房は驚いて恐れていたところ、その車がまるで人のように「そこにいる女房よ。私を見ようとするより家の中に

入っておまえの子を見ろ。」と女房に話しかけた。



 女房は怖ろしく思って家の中に駆け込んで見ると、三つになる子が肩から股まで引き裂かれ、片方の股は

どこかへ持って行かれたのだろうか、見つからなくなっていた。女房は嘆き悲しんだけれども元には戻らなかった。

あの車にかけてあった股はこの子の股だったのだ。

『諸国百物語』
第三話 天狗祟りをなせし事


 ある国の殿様が、領地の山々の樹木をたくさん切らせていた。その中に天狗の住処がたくさんあったので、

この天狗たちはこれに怒って「この恨みに仕返しをしてやろう」と、下屋敷にいた女房たちの黒髪を、夜毎に

一人ずつ、髻から切るようになった。



 女中たちは集まって、皆怖れ嘆いて途方に暮れていた。殿様はこの事件のことを聞いて驚き、これは天狗の

仕業であろうと考えた。



 それで、今後樹木を切り取ることをやめるようお触れをお出しになったところ、天狗たちはこれに満足したのだ

ろうか、それ以後、この災いも起こらなくなったということだ。

『太平百物語』
第四話 冷泉院東洞院僧都殿の霊の事


今ではもう昔のことだが、冷泉院よりは南、東の洞院より東の角は、僧都殿というきわめて不吉なところだった。

だから、そこにくつろいで人が住むようなことはなかった。



 その冷泉院のすぐ北は、左大弁の宰相源扶義という人の家であった。その左大弁の宰相の舅は、讃岐守

源是輔という人である。



 その人の家から見ると、向かいの僧都殿の戌亥の角にはとても高い榎の木があった。黄昏時になると、

神殿の前から赤い単衣がその榎の木の方向に飛んでいって、木の先まで登っていくのだった。



 だから、人はこれを見て怖れて近くへも寄らなかった。ところが、讃岐守の家に宿直していた武士が、この単衣が

飛んでいくのを見て「自分ならば、あの単衣をきっと射落とすだろうよ。」と言ったので、これを聞いた者たちが

「絶対に射ることはできないだろう。」と言い争って、その男をけしかけた。



 男は「必ず射よう。」と言って、夕暮れに僧都殿に行って南向きの簀子にそっとあがり待っていたところ、東の竹が

少し生えた中から、この赤い単衣が、いつものように飛んできた。



 男は矢を弓につがえて強く引いて射た。単衣の真ん中を射抜いたと思ったが、単衣は矢を立てたまま同じように

木の先に登っていってしまった。その矢が当たったと思われる所の土を見ると、血が多くこぼれていた。



 男は讃岐守の家に戻り、言い争った者たちに会って、この次第を語ったので、争っていた者たちはとても

恐ろしがった。その武士は、その夜寝たまま突然死んでしまった。これを聞いた人は皆「無意味な事をして

死んだ者だなあ」と馬鹿にした。

『今昔物語集』
第五話 疫神の便船


天正八年、天下に疫病が流行して、多くの人が病気にかかった。ある時、瀬田の渡し場に、大津のほうから

都の者と思われる身分の高そうな若い女が一人やってきて、未の刻(午後二時ごろ)、渡し船を雇って乗り込んだ。



 向こう風で舟は速く進むことができず、波に揺られてゆっくりとしていた。舟に乗ると女はそこらの苫をかぶり、

入ってくる波を防いで横になった。女はそのまま寝入ったようでいびきはするものの、苫の下にものがあるよう

にも見えない。



 船頭は不思議に思い、そっと苫を覗いてみたところ、たくさんの蛇が重なり合っていた。全部数えると千匹

ほどもいるようだ。船頭は大いに驚いて額に汗をかき、背筋も寒くなって何とも言いようがなかった。



 だんだん向こう岸も近くなったので声を出して気づかせると、目を覚まして起きあがるのはさっきの女である。

女が船賃を払っても、船頭は遠慮して取る様子も見せない。女はほほえんで「どうしたの」と問うと、船頭は

返事のしようがなく、これこれしかじかと語って震えた。



 女は面白がり「さては見たのか。絶対人には言うなよ。私は蛇疫の神だ。私は今から都を出て草津の里に

入る。一ヶ月ぐらいで帰るつもりだ。」と言って、竹の茂みに入っていき、それっきり跡形もなく消えてしまった。



 その夏、草津の村々の内、一村も残らず疫病が流行し、七百人以上の人が死んだ。その春から夏の頃までは、

京で疫病が流行して多くの人が死んだが、それからは都ではおさまっていった。

『万世百物語』
<第二集>につづく
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